こんばんは、わだやんです。
我が家の長女うさみんが生まれるまでのことを書いています。
本日は、超低出生体重児を生みました。ブログその8の続きです。
プロローグをまだ読んでいない方は、
超低出生体重児を生みました。プロローグからどうぞ。
出産したあと
ひと目見ることもできずに保育器へ
産まれたらそのまま素早く保育器に入れられて、そこで色々な処置を受けます。
真っ先に行うのが呼吸器をつけること。
小さく生まれた赤ちゃんは、肺など様々な臓器が未熟な状態で生まれてくるので、自分で呼吸をすることができないからです。
一方の私はというと、胎盤と戦っていました。
赤ちゃんが産まれたらおわりではなく、次に胎盤が出てくるのを待つのです。
看護師さんにお腹をグリグリおされて、めちゃくちゃ痛かったです。
「ごめんねー痛いよねー」と言葉ではとても優しいですが、
手を緩める気配はありません(笑)
赤ちゃんが産まれたあともこんなに痛みが続くなんて知りませんでした。
胎盤が出てきたら、ひと段落。
ここでようやくくまごろうが分娩室へ呼ばれました。
出産は無事におわりましたが、今後どうなるか分らないので、
「おつかれさま」と声をかけてくれたくまごろうの表情も強張っていました。
うさみんの処置が終わるまで、A先生も一緒に居てくれました。
保育器は少し離れたところにあって、何をしているのか、ベッドに寝ている私からは見えませんでしたが、
その時のNICUの先生(のちにうさみんの主治医となるR先生)の頼もしい後ろ姿は、今も忘れられません。
このR先生もとても優しい先生で、処置をしながらこっちを振り返って、
「お母さん、大丈夫ですよ、もうすぐ終わりますからね」と声をかけてくれました。
その後、まず呼吸器を無事につけることができたことを告げられ、
さらにこの後色々な検査があるので、このまま待つように言われました。
R先生が気を利かせて、保育器が見えるように私たちの前で立ち止まってくれましたが、
横になっている私の位置からは、うさみんの後頭部しか見えず。
私は緊迫した雰囲気の中、「あ、髪の毛生えてる」と場違いなことをつぶやいていました。
それから4時間ほど、分娩室でくまごろうと2人で過ごしましたが、
何をしていたのか、何を話したのか、ほぼ記憶にありません。
医師からの説明
生存率は50%
約4時間後ようやく、R先生が戻ってきました。
先生もかなり疲れた様子だったのが印象に残っています。
まず、一番に言われたのが、
「23週で生まれた子供の生存率は50%」ということ。
そして、これから起こりうることや治療法についての説明がありました。
A4用紙2枚にずらっと書かれていて、小さく生まれたことのリスクの多さに愕然としました。
※主治医からの説明は、「NICUのお話。ブログその1(起こりうること)」にまとめました。
72時間の壁
そして、もうひとつ言われたのが、「72時間の壁」についてです。
無事に産まれてからも、脳出血や急変することがあるらしく、その多くが72時間以内に起こるそうです。
まずは72時間、何事も起こらないことが重要とのことでした。
こればかりは医療でどうすることもできないので、ただ祈るのみ。
うさみんの生命力を信じるしかありません。
そんなうさみんと私がちゃんと対面出来たのは、出産して2日後のことでした。
※今回で、「超低出生体重児を生みました。」はおしまいです。
読んで頂き、ありがとうございました!!
次回からは、産後のことやNICUのことなど、ぼちぼち書いていく予定です。
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